思うこと。
「たいしたことでない、些細なことでも、それに価値が生まれることがある。その人のためだけなもの。他の人には意味がないかもしれない。その感動に意義がある。03/07/01 」
こんなことを昔記した。これをまた感じることが多い。
別にお金がかかっていなくてもいいんですよ。いわゆるマスターカードですよ。あのCMですよ。お金で買えない価値があるんですよ。
たとえば、尊敬する人に自分の名前を呼ばれる。「おい、寺町っ」と。これなんともいえないほどうれしいことですよね。認められたというか。覚えてもらえたというか。別に金を払ったわけでも何でもないんですよ。両者ともコストも払っていないし。でも、とんでもなくうれしいのです。
逆に、尊敬する人にお金を払って、(これは本人でも、裏で協力者などの他の人でもいいんですけど)名前を呼ばれても、うれしくも何でもないですよね。お金払ったことによってその価値は下がってしまうんですよね。金は人間の感情(ワクワク。どきどき。感動。うれしさ。)を取り去ってしまっているのです。
トイレットペーパを使うのを躊躇する。
ってまじかよ!?
インドに行って左手に慣れたからか?トイレットペーパーがいらなくなったのか?!
そうじゃないです。
この前、トイレットペーパーを買ったんです。スーパーで一番安い奴が、香りつきのトイレットペーパだった。まあ何でもいいやと思って買った。家に帰って使ってみるとホントに花の香り。まあ、それはいい。
問題なのはトイレットペーパーに花の絵とその花に関する言葉が書かれている。
その言葉が、また心に響くことが書いてあったりする。
そうするとですね、じっくり読んで見とれてしまう。ココまでは良いのだけど、なぜかそれで尻を拭くのをためらう。ためらうというか、何か悪いことをしているような、なにやら綺麗なものを汚すような感情を持つ。
もとはといえばただの紙ですよ。無地のトイレットペーパーなら何にも感じていませんよ。しかしそこに絵と言葉が書かれただけで全く人間の感情は変わるのです。それだけ、文字と絵には人間の感情に与える力がある。そう実感したわけです。
問題じゃないんだけど、この気持ちはなんだろうか。
ちなみに好きな花はひまわり、桜、コスモスとかです。
まあ、スペインで一面のひまわり畑を見るという夢は達成されなかったのですが。。。
BGMはミスチルの「花言葉」
ミスチル歴はかなり長いけど、やっぱいいわー。落ち着く。
「夢」ということばがある。
将来の夢
というときの「夢」の意味
昨日の夜、怖い夢をみた
というときの夜寝ているときにみる「夢」
違う意味であるのに同じ言葉。
現実離れした空想という繋がりの中で、なんかうれしい気持ちになる。
ちょいと前、こんなエントリーを書いた。
そう、家の近くにブックオフがオープン。やりましたよ。
いやーーホントうれしい。
あそこの100円コーナーはたまんないです。
距離的にも散歩コースに最適です!
では、行ってきます。
人間は曖昧なものを想像することが得意な時と得意でないときがある。少ない情報から特徴を読み取り、それが何であるかを判断する。
たとえば、人間の後姿。これは服も新しかったりしたら分かるのは背の高さとか髪形ぐらいか。歩き方とか。しかし人間はそれが友達であればだいたい判断できる。しかし、普段自分が見慣れていないもの、太郎というカモシカと二郎というカモシカは区別が付かないだろう。たぶんカモシカ君たちは区別が付くはず。それはいつも見ているから。
同じもの、同じ種類のものを見続けていればそれに付いて何か分かってくる。特に人間みたいに動いたり笑ったり、変化しながらあるものを見続ける。すると、それについて何かしらの判断能力が付くはず。
たぶん、いたって当たり前のことを書いているんです。世界中のほとんどの人が知っています。しかし、このことを応用している人は少ないかも。自然にやっている人はたくさんいそうだけどね。
なんかについて詳しく知りたかったり、感覚をつかみたかったらひたすら見てやるとか。どうしても、ひまわりの花の違いを判断したい人は、ひまわりをひたすら見てやる。右から見たり、左から見たり、上から下から。斜めから。時にはひまわり畑に埋もれてみるとか。食べてみたり、
なんか最近ブログがはやっているらしい。
特にランキングとか。某野球参入で有名になった会社のランキングとか、その他のランキングで。
上位を争くらいなら、ほぼ毎日更新しているのにほとんど誰も見に来ないブログを達成してやるぞ。
前から言っているようにこのブログは自分のメモ。誰も見なくてもいいです。
じゃあ、公開するなって突っ込む奴がいるかもしれないけど、自分が外部から見るの便利だし。それに、公開するなって文句言うくらいなら見に来なくていいんじゃないのかと思うのです。
ランキング上位とか争うのなんてやってらんねー。このページのアクセス数下がるように意味不明なこと書いてやる。
もっと見に来るやつ減ってくれーーー。
よーし、もっと意味不明なこと書いてやるぞ。
と天邪鬼道をゆくのでした。ちゃんちゃん。
今日は朝から早い。最近、日曜日の朝が早い。ちょいと辛いが、すがすがしい。(夕方になると疲れるのだが)なんか、方向性とか、課題とかスムーズに話が進む。こんなにきれいにまとまっていいものなのかとも思う。たぶん見逃しているところがあるのかも。それから新宿で少し頭を使う。頭を使ったのは久しぶりかも。
ココから本題。
たぶん、若いうち(青年期かな?)には大きな環境変化と精神・心理的変化がある。大きなものは一人暮らし、経済的独立、結婚、親の死ではなかろうか。まず、一人暮らし。これは親から離れるという環境的変化。今までには全くない環境である。それによって精神的に自由が増える。経済的独立。自分で稼いで自分で食う。他人にどうのこうのほとんどいわれなくなります。さらに精神的自由が増える。結婚。これは精神的自由が減ると思われます。親の死は自分の支え、そして親の目がなくなります。
一概にこうとは言えないかもしれないが、こうではないかと。
で、こういう心理的な変化によってそれが行動という形で現れる。これの積み重ね。
で、問題は偶然を必然にしてしまう人。
そういう人は、環境変化が起こる前にその後の状態をイメージし、そのときの精神の変化を予測し、そのときに何をしたいかを具体的にリストアップしている。
大きな心理的変化がおこる前に、心理的変化後の状態をいかにイメージし、何をもとめゴールをみすえいかなる行動をとるかを列挙する 具体的行動を直接行わなくてもそのイメージしたものが日々の生活をとおして達成される可能性が高い 将来を映像としてイメージし夢をみるそして落とし込み これで人生の大まかな方向性がきまる それは一つ一つの行動が短期的意味を持っていなくても長期的にはつながる これが偶然を必然にする秘訣
これは、「環境変化の前」というのが重要で、その前にイメージする必要がある。
一人暮らし 親から離れる物理的に 自分で稼ぐ 金銭的に独立 精神面でのさらなる自由 結婚あらたな結び付き ここを期に人は大きな変化をとげる 物理的変化から精神変化になり行動という物理変化になる。それの積み重ねが精神信念をうみだす 東京には男が多く地方には女が多い マッチング 大学入学後10年計画 気付き共有仕事でスキル地元 大きな方向性を決めるのが得意
一人暮らし、物理的に親から離れる
社会に出る 自分で稼ぎ経済的自立
結婚 家族が出来て、家族への責任感、どこに住むか子育てはどこでするか、どんな育て方かなど
親の死 親の目がなくなる。魂の中には届くかもしれないが。介護が必要になった時に自分はどうするか
これらの時は、人生の転機だな。
追記
結婚と親の死、さらには子供が生まれる。この三つをセットにして家族の増減とまとめることも出来る。転職とかも大きな変化だが、
これらの人生における大きな変化において結婚だけコントローラブル、自ら選ぶことが出来ることだ。だから、結婚は大いに悩むのだろう。