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May 14, 2005

生きる喜び

最近どうもこの写真が気になる。
これは、インドのバラナシというところの細い路地で撮った写真だ。

P8300449

このおっさんの顔が非常にいい。
確か、写真を撮ろうとしたら照れくさそうに笑ったんだと思う。
なんか、人間の本質に迫る、原点を感じる。

たぶん、生きる喜びなんだと思う。
世の中、カッコイイことはいくらでもある。人から注目されること、なんか大掛かりなこと。頭を使って必死に考えて答えを導くこと、ごちゃごちゃした数字を駆使したこと、大きなお金が関係すること、多くの人に影響を与えること、それはそれの面白さがあると思う。僕もそういうものに面白さを感じる。

その一方でこのおっさんの顔。なんか超越してる。何を超越してるかって何もかも超越している。

人の成長は止まったのか

生物は気候の変化で絶滅した。
疫病がはやり多くの生き物が死んだ。
飢饉があり多くの人が死んでいた。

生き物は環境の変化で死ぬものであった。
だからこそ、人はその環境変化に対応するように、進化していった。
完璧な仕組みは何かあったら弱い、だから曖昧な部分を残し変化する。
突然変異も生命が生き延びる基本だ。
このように生き物は生物学的に進歩成長(変化)してきた。

しかし、現代の人は医療の発達で生き延びることが出来る。
人間が環境を変えた、そのために人間自体の生物学的な成長は止まった。
このような考え方が本に書かれていた。
うなずいた。
けっこう面白い考え方だ。

これは地球が始まって以来の大きな出来事であったんだと思った。この人間の行為自体が単に悪いとは思わない。この人が環境を変えるということは多かれ少なかれ今後も続く。だから、このことを踏まえて物事を考える必要があるんだろうと思う。

まあ、疑問なのがな生物は生き延びようとするのか、子孫を残そうとするのか。だいたいの問題の終着点として、生物が生き延びるためにとか、自らの種のDNAをのこすためという答えにいたるのがつまらない。なんで、生き延びようと、DNAを残そうとするのかが不思議でたまらん。

旅と散歩と移動の違い

今日、散歩した。
ケイタイを家に置いて。
ケイタイなる物とは、高校一年生の頃からだから7年目の付き合いになる。
たぶん、眼鏡の次に長い付き合いであると思う。

たまに、家に忘れて出かけることはあった。
でも、ほぼ毎日一緒にいた。

初めて長期間離れたのはトルコへ行ったときであったであろうか。
あの時、少し違和感があった。物足りなさといったほうがよいのかもしれない。
ポケットにあるものがない。そんな感じだ。
この頃はケイタイへの依存度が高かったのだろう。
だからそんな気持ちになったんだと思う。

しかし、今日あえてケイタイを家に置いて散歩した。
雲取山の筋肉痛が続き、歩く姿がぎこちない。
だから、3時間ぐらいの散歩になった。
だいたいケイタイなんてものは家に置いて出たすぐの時だけ何か物足りなさを感じるもの。
今日は、その家を出てすぐも物足りなさを感じなかった。
ケイタイへの依存度が少なくなったからであろう。

ケイタイを持っていないということは時間も失う。
時計をもっていないからだ。
だからなんだという話だ。

ケイタイも時計もない生活。
食べられることがどれだけ素晴らしいことか、
安心して生活できるということがどれだけありがたいことかを感じたい。

で、散歩をしていて思ったこと。
旅と散歩と移動は何が違うのか。
旅と旅行の違いはなんか前に書いたことがあると思う。

たぶん、世界一周している人は旅をしていると第三者は思うはずである。しかし、その人の目的地がパリだとする。その人は日本を出発して陸路でパリまで行く。普通この人は旅をしている。しかし、目的地のパリにしか興味がなく、パリへ行く陸路の過程にも興味がないとする。するとこの人にとっては、パリまでの道のりは単なる移動なんだろう。

移動というのは、最終的な目的地以外に興味がなく、その目的地へ行く過程を移動というんじゃないのだろうか。だから、ツアーで旅行に行くときの交通手段を使った行為は移動であるのかもしれない。一方で、個人で旅をする人これは交通機関に乗っているときも旅なのであろう。

散歩、これと旅を区別するのは難しい。「世界一周の散歩」であっても問題ないと思う。散歩は日帰りとか、気軽に出かけるものであると思うのだが、世界一周するのにすごい少ない荷物で出かける人もいる。

僕も18きっぷがあれば、日本中どこへでも散歩気分でいける。

まあ、何が言いたいわけでもない。
なんとなく、旅ってことが頭から離れないだけである。

Lie Fu
「Life is like a boat」
という歌が非常にいいです。

旅はまだ続いてく 穏やかな日も
つきはまた新しい周期で 舟を照らし出す

中略

運命の船を漕ぎ 波は次から次へと私たちを襲うけど
それも素敵な旅ね どれも素敵な旅ね

まあ、人生という名の旅路を歩んでいるということだ。
まあ、このブログのタイトル通りであるわけだ。

脳で作り出されたイメージを残す

脳で作り出されたイメージを残す

文字にしても、言葉にして話しても、伝わらないことはたくさんある。

この脳で作り出されたイメージ、明確なアウトプットとして出しにくいもの。どう表現すればいいのであろうか。この再現不可能な一回性のものを普遍へとすることは意味のないことなのか、意味のあることなのか。

そもそも脳で作り出されたイメージって何なんだ?