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June 17, 2005

Stay hungry, stay foolish

http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/grad-061505.html

スタンフォードの卒業式でアップルのジョブズが話したみたい。うけたのが、ガウンの下はジーンズとサンダルだったみたい。

'Stay hungry, stay foolishが最後の言葉

今さらながら

微妙に古い新聞、本を読むのが好きなのですが、いまさらチーズはどこへ消えたを読んでみた。

世の中、どんなものでも常に変化がおこって、その変化をただ恐れるだけでなく、小さな変化を見極めて対処することが重要だと書いてあったのです。

で、この本、小学校の学級会みたい。なんか、登場人物の会話がよそよそしい。みんな一人の言うきれい事を支持しているし。なんか、こんな感じの本は気持ち悪いし。好きじゃないな。

何が起こるかわからない

何が起こるかわからない、それが世の中なんだなぁ。

時がたてばどうなるかわからない。

絶対ありえないと思うこと、絶対ありえないと思うことすらない想定外なこと。
そんなことも起こりえるのが世の中なんだなぁ。

明日は明日の風が吹く。
今日も楽しく、明日も楽しく。

梅雨なのに朗らかな夕べ

昨日は本当に朗らかな気持ちになった。

梅雨の時期でジメジメしている。そんな夕暮れ。
普通だったら外に出るのが億劫になる。

しかし、昨日はそうではない日だったのだろう。

芸大の授業が終わってから、根津の車屋へ行った。
入り口のちいさいテーブルをあふれ出すように人が囲んでいた。
そして、いろいろ話しながら飲んでいた。

特に何を話したかは覚えていない。でも、授業後の教室、そして車屋へ行く道、飲んで話しているとき、先に店を出るときのあの空気感、それらも含めて何か幸せだった。

次の用事のために車屋を先に出た。そして、駅の入り口の前の信号で止まった。その時、

「今日という幸せな日」

という、フレーズが頭に浮かんだ。

今日という日は今日というだけで幸せなんだ。今日という日を送れているだけで幸せなんだ。と切実に思った。

その後、渋谷で飲みながら話した。はじめは二人で話していた。構えることなく、肩肘張らずに話せるってのは、心地よく落ち着く。いろいろ話した。今の仕事の話を聞いたり、驚愕の事実を聞いたり。なんか、そんな風に話しているのが、そんな風に話をできるのが、うれしい。朗らかな気持ちにさせてくれる。遅れて某氏が登場。その場の雰囲気は変わらない。この心地よい空間。話していて、三人のバックグラウンドが似ていて、お互いに理解できるのだろうって話になった。みんな、集まると自分の家みたいな気持ちになり落ち着ける。自然に集まってしまうって言ってたし、僕もそう思う。

ああ、前もこのメンバーで食べたときは沖縄料理だった。と思いつつ、いつの間にかすぎさっていった時間を惜しみながら、家路についた。

ニーズ?

ニーズやマーケットの顔色伺いだけでは、自分のやりたいことでないし根強いファンはうまれない。ファンという固定客がつくと会社として安定する。
表面上の客だけでは、ちょっとしたことで他の商品に移っていってしまう客だ。これは、会社にとってはリスク名経営となってしまう。

自分たちの会社が、明確な理念を持って、ただ単に大衆の流れに迎合しない粋な商品を提供することによって熱狂的なファンがうまれる。自分たちの商品に魂がこもらなかったらファンはうまれない!

しかし全くマーケットニーズの方向と違ってもビジネスにならないのも事実。独自の道と社会性のエッジをいかに見極めるかということになるんだろう。

次の試合に勝つことだけ

野茂選手をいつも好きだと書いている。そんな彼が日米通産200勝した。その後のインタビューを見て、再度惚れ直した。

「次の試合に勝つことだけ」 長期的な戦略どうのこうのより目の前のことをがむしゃらにやることに意味があることもあるのだろう。特に野球の勝利数なんて皮算用してもあまり意味がないと思う。そんなんよりも目の前の一勝を積み重ねることの意義深さと難しさが伝わってくる。

長期的な戦略も必要だろう、しかしそればっかりでは泥臭いかっこよさ、魂のこもったものが伝わってこない。目の前のものだけに徹する、その向こう見ずなひたむきさからは何か強いものを感じる。

這上がる、そんなイメージがある。這い上がるという。野茂選手は常に良い結果を出し続けているわけではない。無理といわれたメジャーに日本での成果を捨て殴りこみ、手術をしたり、チームを追い出されたり、マイナーでプレーしたり、年俸なんて10分の一になったり。 みんなが失敗すると失笑するようなことを、反論などつべこべ言わずがメジャー成果を出してくつがえす。そんなところがかっこいい。さらに、基本は走ることだと考え、足腰強化のためにひたすら走る。一人の人間として尊敬します。

派手ではなくても、ちゃんとやれば認めてくれる環境があったのも事実なのかもしれない。


野茂という生き方

―今の気持ちは?

 「僕としては200勝は意識はしていなかった。だけど、情報を知ったチームメートやファンの存在で、少し意識し始めた」

 ―200勝は、どんな意味を持つ?

 「もともと、そういう目標を持っていなかった。区切りの目標ではないので、次の試合に勝つことだけ」

 ―印象に残る試合は?

 「一つ挙げるのは難しい。これまでずっと僕を見てきてくれたファンが『いい試合あったな』と思ってくれれば、それで十分。これからも、そういう試合をつくっていきたい」

 ―野茂投手のメジャー入りから、日本人選手が次々に海を渡った。パイオニアとしての思いは?

 「僕はまだ(日米)15年しかやってないし。僕よりずっと長く(現役で)プレーやっている人はいる。それこそ、僕が目指しているもの。(メジャー入りした日本人に)アドバイスできる立場では、まだないと思う」

(スポーツ報知) - 6月17日8時1分更新

実体験をともなう感情

実体験をともなう感情ともなわない感情がある。

人の話を聞いていると特に思う。

実体験をともなう感情しか、心動かされないのだ。人から聞いた話を受け売りしていたり、自分が心のそこから突き動かされていないのに、それっぽく話すのを聞いたとき。まったくわくわくしない。

自分の感情を伝えるときに、その感情が実際に生まれた実体験があると、魂がこもっていて伝わってくるものがある。表面的ではない。生の体験というのはそれほどの力があるのだろう。バーチャルの発展によりバーチャルの世界と現実の区別がつきにくくなっていくかもしれない。さらに、言えば想像と現実の究極の違いなんてわからない。しかし、想像では超えられない世界がある。実体験の持つ重み。

あの、人を突き動かす実体験に基づく感情とは、すさまじいパワーを持っている。それであるがゆえに、危険なときもあるのはわすれちゃならない。

今日という幸せな日

特別なんいうわけでもない。
ただ、根津の車屋でみんなと話し飲んでいた。
その後渋谷へ移動するために先に抜けて、根津駅へついたときにこのフレーズが頭にふと浮かんだ。

「今日という幸せな日」

今日は雨がしとしと降るような日だった。ゆっくりおきて、芸大へ歩いていった。
授業のあと久しぶりに車屋へ飲みに行った。

車屋での空間が心地よかった。なんだろう、授業を終わってからの20分ぐらい。
さらに、車屋での2時間弱。何が心地よかったのだろう。異様なほどうれしかった。

今日という日は今日というだけで幸せなのである。

たぶんいつの日も今日という幸せな日を送っております。

布施さんの雪だるま理論。自分の芯ができればあとは雪だるまのように能力とか環境とかが身についていく。 
茂木さん 空白があるから夢が産まれる 

ワクワクする対象

自分が何に対してワクワクするのか。
本質的に何に対してワクワクするのかが、最近気になる。

ワクワクすることは結構ある。瞬間で、おお、これだと思うことがある。
そんなことを並べて共通点を見つけてもはっきりとは現れない。

何なんだろう。ワクワクするって。

サッカーの華麗なシュート、人の生き様、すばらしいテクノロジー、あっと驚くようなアイディア。いろんなものにわくわくする。共通点なんてあるのかな。

共通点があるとしたら、僕の心が反応したってことかな