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July 05, 2005

人間の瞬間のチカラ

人間は他者に対してプラスのパワーの方が強い。これは精神面に与える影響のことです。何かっていうと、ある人が何かを成し遂げた。それはイチローの最多安打でも、野茂の200勝でも、高橋尚子の金メダルでも、サッカーでも、まあ、スポーツに限らない。田中さんのノーベル賞でも、べつにもっと身近な家族の話でもなんでもいい。こうやって何かを成し遂げた人がいると感動する。感動すると一言で言ってしまえば安っぽいが、心に響くものがある。

何でこう思ったかというと、長島さんが帰ってきて本当に喜んでいる人がいた。たくさんのおっさんたちが、長嶋茂雄という人物が帰ってきたことに心のそこから喜んでいるようにテレビを見ながら思った。スポーツを通して感動を与えることができるんだな、もっといえば彼は現在は現役ではない。たった一人の人間がこれだけ多くの人にパワーを与えられるのが人間なんだなと思った。昔、僕は長島さんの何がすごくてみんなが持ち上げるのか分からないと言い放っていた。確かに、今でもその部分はある。しかし、一方で長島さんによってあれだけパワーをもらっている人がいるという事実があるのだ。今の僕にはそちらのほうが重要だ。

なんか、言葉じゃなくて、人の生き様とか行動によって受ける感動とか感じるものってのは本当に強いものだ。言葉でも確かに感動するし、衝撃を受けるが、なんか言葉を超えたもの。ある意味、詩とかもそう思う。あれは小説などと違って短い。だから瞬間のチカラがものすごい。写真にしろ絵にしろ、瞬間の力が強いと思う。小説とか映画とかすばらしいものはたくさんあるけど、瞬間のチカラというのは弱いと思う。その瞬間のチカラを長島さんという存在が持っているのだと思う。同様に美空ひばりさんに対して、なぜあんなにも持ち上げられるのか分からなかった。けど、同じなんだと思う。

人間は他者に対して、プラスのパワー、感動させたり勇気付けたりする力が強いと思う。伝わりやすいのかもしれないし、マイナスよりもプラスのパワーのほうが感じ取りやすいのかもしれない。それは分からないが、人間が他者に与える影響がプラスのものとマイナスのものがあるとしたら、プラスのほうが圧倒的に強いと思う。

なんか、ある人がショックを受けているすると回りも心配になりちょっと落ち込むかもしれない。しかし、それが回りに与える影響と、ある人が何かを成し遂げた時に周りに与える影響は大きさが違うと思うんだな。何でかわからないけど。(これは、僕が楽観主義過ぎて、自分だけがプラスの影響ばかり感じているから、社会の見方が偏っているだけかもしれないのだけれど。)

こういう言い方をすると、勘違いされるかもしれないが長島さんが病気になられた時にショックを受けて元気がなくなった日本中の総計と、長島さんが復活して元気をもらった人の総計を取ったら後者のほうが圧倒的に大きい気がするんだよな。

人間ってなんて伝染しやすいのかな。

つぼは花瓶にも骨壷にもなるよ

うけたなー。どっかで見かけたのであなたがつぶやく最後の言葉っていうのをやってみた。そうしたら、「つぼは花瓶にも骨壷にもなるよ」。最後にこんなこという人っていないよなー。笑

あなたがつぶやく最後の言葉は「つぼは花瓶にも骨壷にもなるよ」です。
走りすぎ、過呼吸をこじらせ、死亡。(推定年令:不明)

総合運 ☆☆☆☆☆
新しい物好きのあなたは、メールマガジンを購読したり、雑誌には欠かさず目を通したりと、情報収集にも余念がありません。そんなあなたの情報処理能力が買われて、あなたは周囲から何かと頼りにされることが多いことでしょう。現状のことに飽き足らず、常に何かを求め走りつづけているあなたが満足を覚える日はいったいいつのことやら。
そんなあなたが探し当てたものは、最期の言葉『つぼは花瓶にも骨壷にもなるよ』です。走りっぱなしのあなたは、実は地球を一周していたのでした!? バトン代わりのつぼが最期にはあなたの骨つぼに。そして、めぐりめぐって輪廻転生、つぼには花が活けられ、誰かに笑顔をもたらすでしょう。

仕事運 ☆☆☆
情報収集に長けているあなたは、うまい話の側にいることも多いようです。これといって何かしているわけではないのですが、同僚からは『仕事のできるやつ』と羨ましがられる存在であることでしょう。しかし、うまいことはそんなに長続きはしません。努力する者は報われる、です。あなたが努力を惜しまなければ、その密やかな努力がやがて、あなたにとっての真の糧となることでしょう。

金運 ☆☆☆☆☆
つい、こまごまとお金を使ってしまうあなた。しかし、大きな買い物には慎重なので、知らず知らずの内にお金は貯まっていることでしょう。あなた自身、それほどお金に困ることはありませが、貯蓄に関心のないせいか、自分にはお金がないと思い込みがちです。将来を意識し、貯蓄運用に励みば、ますます安泰となることでしょう。

恋愛運 ☆☆
新しい物好きのあなたは、新しい出会いにも積極的だったりします。しかし、あれもこれもと、焦点が定まらず、せっかくの出会いもふいにしがち。時には地に足のついた行動で一人、一人、じっくりとつき合ってみては。その人の新しい一面に、うちのめされる衝撃を味わうことになるでしょう。

ラッキーワード
『長いものには巻かれたフリをしろ!』
 (酒の席で後輩に対する説教として使うとラッキー度、更にアップ!)

http://marylou.m78.com/lastword/

二階堂-お酒のCMが洗練されているわけ-

寝ようとしたら、二階堂のCMが流れた。正確には二階堂かどうか分からなかった。なんかすごいいい感じのCMだなと感じて、なんのCMかなと思って、最後まで見ていたら二階堂だと分かったのだ。

どんなCMかっていえば、たおやかさを持ったCMという感じ。ゆったりとした流れの中に、一つ一つの言葉が存在感を持っていたそんなCM。まあ、CMライブラリーでも見てください。

で、思ったのがお酒のCMは洗練されている。依然書いたiichikoしかり。何でだろうと思う。まあ、ビールとかはわいわいがやがやしながら飲むものだから、ああいうCMでいい。しかし、焼酎とか日本酒とかまったりと飲むものであるし、味わうものだからああいうCMになるんだろうな。って当たり前か。今後も酒のCM 注目ですな。

CMは映像と音が合わさって勝ちのあるものなので、文字だけでは伝わらないものもありますが。。。

ナレーション
2004年 「詩人の島」
水平線を引いたのは、
空があまりにも空だったから。
夜空に星を撒いたのは、
地球と言う星を忘れそうだったから。
私は私のままでここにいる。

そして、むぎ100%
大分むぎ焼酎、二階堂。


2003年「遠い憧れ」篇
錆びついていた時計が、
再び時を刻みはじめた。
縺れた糸はほどけ出し、
古びた迷路は、一筋の道になる。
麦100%は、私のふるさと。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2002年「父」篇
私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかった言葉に、
いつか私は、辿り着くのだろうか・・・?
ずっと、麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2001年「雨宿り」篇
刻の我侭に流されて、
私は、記憶の海に辿りつく。
ふるさとは、私の中に流れています。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2000年「風の海峡」篇
確かな言葉は、誰も持っていませんでした。
海、渡る。
風、渡る。
懐かしさは、不思議な力を持っています。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1999年「旅人の車窓」篇
生まれたばかりの風が、
窓から飛び込んでくる。
旅人のほろ苦い後悔は、
やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1998年「刻の迷路」篇
風追い街、誘われ道。
置き去りにされた刻の迷路で、
物語は今も続いている。
私の住処は、ここにあります。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1997年「木登り」篇
ただいま。
グラスに映るのは、本当の私です。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1996年「シネマグラス」篇
探していた想い出に、
人は、どこで追いつけるのだろう。
人はみな、帰るべき刻があり、辿りつく夢がある。
夢から醒めて、ここにいる。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1995年「天文詩人」篇
幾千、幾万光年の彼方から、
星たちは、どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう。
満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる。
いつも、新しい輝きと、新しいいのち。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1994年「風の棲む町」篇
その呟きは、やがて街に温もりを宿し、
溜息は、懐かしい時間を映し出す。
風が、描く。
刻を、描く。
私は、おいしい風を知っています。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1993年「文士」篇
東にいれば、西へ行きたい。
春が来れば、冬が恋しい。
いたずら頑固に、生きてゆく。
そんな時代がありました。
誰にも似ていない、誰にも辿れない。
麦100%が私の生き方。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1992年「私の道」篇
風の道を辿って、旅は始まる。
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻に触れる。
私の旅は、終わりのない旅かもしれない。
風の道が、私の道。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1991年「森のオルガン」篇
この星が生まれたばかりの頃、
鳥たちはここで飛ぶことを学び、
風は歌うことを学んだ。
ここで生まれて、ここにいる・・・。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1990年「刻のオブジェ」篇
海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる。
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう。
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話。
彼らの夢を肴に、今夜も・・・。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1989年「街の夢」篇
風の気持ちも、光の想いも、知っている。
全てが隙間なく、 私の心に重なり合う。
街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか。
麦100%が原点。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1988年「水の旅」篇
人知れず、彷徨いながら、揺い(たゆたい)ながら、水はおいしく磨かれていく。
大分の、おいしい水と出会って、私は麦だけの焼酎になる。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1987年「自然」篇
いつ、来れますか・・・。
いつ、逢えますか・・・。
いつ、話せますか・・・。
自然も、街も、人も、みんな、ゆっくり、もっと、ゆっくり・・・。
大分むぎ焼酎、二階堂。

いいちこに関する以前のエントリー

何でブログを書くかって

自分が考えたこと感じたことを文字にして書くことによって再度考えるため、そして忘れないようにするためのメモ。

基本的に他人が読むことはあまり考えていない。自分の脳アーカイブ。

「生きる」という詩

谷川俊太郎さんの、「生きる」という詩を見かけた。この詩を見た時、聞いたとき、耳に入った時、いつか聞いたことある、いつか音読したことあると思った。

そうだ、たぶん国語の教科書に載っていたのだ。それで、授業中に朗読したのだった。

なんか、その朗読に対していい思い出がない。なんか、先生の想定している谷川さんの思いにしたがって読まされている感じがあった。たぶん、人それぞれ違うのだから、どんなとらえ方をして、どんな読み方をしてもいいはずなのに。先生が喜ぶような朗読の仕方をしていた。

なんか、気持ち悪いほどの感情をこもったような朗読する人がほめられていた。僕はあれが本当の姿だと思わない。感情をこめているとアピールするための感情のこめ方だと思っていた。でも、小学校という環境ではそんな疑問を持っても、何の意味もない。小学一年生のコロから批判的だったらしいが、一年生にしては批判的だったかもしれないが、そのころは先生は遠い存在で、完璧で、先生の言うことは正しいと思わされていた。それにしても、小学校教育は難しいな。人生に大きな影響を与えすぎているのにもかかわらず、現状のままでは相当問題だな。

以前、「教職をとっていなくても俺みたいな人は教育実習に行くといい」といわれたことがある。その芸大の彼は、教職を採っていないのに教育実習へ行った。そして自分の信念に従って、実習を行った。しかし、よくわからない学校の論理には合わなかったらしく、単位はもらえなかったらしい。でも、彼はそれならそれでいいといっていた。僕は彼のことを本物の人間だと思っている・。

子供を何十年も教えていると自分がいかに大変な、大切なことをしているかが見えなくなってしまうと思う。(別にこれは先生だけにいえたことではない。他の仕事も同じことが言える。でも、人を育てるということは、それだけ重要だと思うから、とりわけこのような発言になる。)教える技術のテクニカルな部分は長年のノウハウがいるかもしれない。でも、日々の生活の部分は一般の人がやってもいいと思う。子供の世の中に対する考えが開けると思う。

ああ、なんかあんな朗読の仕方をしていなかったらなーと思う。

生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと 生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと 生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

ぐりとぐら。がNHK教育ロシア語の番組でやっていた。