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October 10, 2004

伝記から

ボクは昔本を読まなかった。
それは全くといってよいほど。
今も大して読まないが大学に入って読む冊数は増えた。

そんな本を読まない子どもが小学校の頃に読んだのが伝記だ。伝記は面白かった。何で面白かったのかは分からない。今考えると、こんな人生もあるんだとか、こんなすごいとされる人でも実際は困難だったんだとか、こんなこと考えていたんだと感じることが出来るからだったのかもしれない。

日経夕刊の人間発見がすきなのも情熱大陸がすきなのも小学校のときの伝記が影響しているのかもしれない。

人が何を考えているか、何について考えているか、どのようなプロセスである考えにいたったのか、どんな思いを持っているかとかが興味がある。

ボクは身の回りの人の生活とか詮索するのは好きじゃない。あまり興味がない。でも、その人の生きるうえでの考え、信念について話すのは好きだ。

テレビや、文字を通してだがこんな人生があるんだというのが刷り込まれているのかもしれない。


関係ないが。
体の奥底から突き上げる思い。この表現いいな。
やっぱソングオブライフはいい曲だ。
ああ、ミスチルの歌詞は仏教的だとインドで思った。

順番

順番、順序。
物には順序というものがある。
何かをするにしても、何かを作るにしても、人生にしても。
それは考えて導き出すときもあれば、何か感じて順番を決めることもあれば、何も考えずにやって結果として順序が良かったことなどある。

定量的に測れないので、これが一番順序が良くてこれが一番ダメとかはいえないが。自分でこれは良かったと思うことも、悪かったと思うこともある。それは他人や他のことと比較してとは別にして。

自分も他人から見てもよい順序というのがイイと思う。しかしいつもそうは行かない。問屋が卸さない。で、順番はイイに越したことはない。いいものが出来たり、手早く出来たりと。しかし、順番を間違えても何か出来なかったり、達成できなかったりするわけではない場合が多い。順番を間違えても、そこで修正したり、戻ってやり直したり方法はある。順番にこだわることもいいことだ。でも順番にこだわりすぎないってのもいいモンだろう。

順番というものは絶対ではないと思う。

自分は自分という人間の経営者であると。
正確には経営者プラス執行役員ですかね。

理系と文系

僕は今文系の学部に通っている。でも、技術的な話とかが大好きだ。こんなのが出来たら世の中どうなるのだろうとか、この技術はどうなんだろうと疑問に良く思う。文系的というか、哲学的というか(簡単にこういうのは問題だが)そういったことの空想にふけるのも好きだ。

理系の人で文型は馬鹿で、技術的なことを何にも知らないと馬鹿にする人がいる。文系にも理系は技術のことしか知らない、文系が理系を操るみたいな考え名人がいる。それおかしいよ。絶対におかしいよ。マジで。

古い新聞

さっきのエントリーで書いたように古い新聞を読んでいた。

人間発見では、イチローや三木谷さんのも切り取ってあって読んでいた。どちらの方もふむふむと思いながら読んでいた。

日経エレクトロニクスという雑誌の30周年の一面広告があった。

テクノロジーは、ノンフィクションだ。

「いつか暗闇から抜ける、そう信じるしかない」(出井伸行氏)
「僕は技術者、いつまでもワクワクしていたい」(Linus Torvalds氏)
「ロボットは、缶ビールを取ってこられるくらいがちょうどいい」(広瀬真人氏)

「未来はもう占うものじゃない。創りあげるものだろう」(Bill Gates氏)
「技術者として、こんなに面白い時代はないよ」(久多良木健氏)
「現状を打破するには、みんなが日本を飛び出すしかない」(中村修二氏)

学生

イメージで語る。
(こう書いて、字を見た瞬間に書こうと思ったことと違うことを考えた。そっちのエントリーもしたくなった。)自分の思い描くことをイメージで語れるってカッコイイ。

最近の学生は、昔の学生よりいろいろなことをしていると思う。昔の学生って遊びほうけていた気がする。(それはそういう時代だったからべつにいいんだけど。)今はNPOとか、芸術系のエキシビジョンだったりとか、旅だったりとか、ボランティアとか、投資だとかいろいろしている人がいる。それは経験としてすごくいいと思う。それに対する思いとか、いろいろ考えて行動しているなと考えると、今後の日本も明るいと思う。しかし、その学生は本当に魂がこもってやっているのか?周りがやっているからとか、なんか流される感じでやってないかな。そうだとすると寂しい。今後いい社会が来ると楽観的にはいえないかも。

まあ、どっちにしろ絶対よい社会が来ると思い続けてるんですけど。

笑顔と真剣な顔

人の顔を見ればその人の性格とかが分かるということがある。顔は口ほどに物を言うとかね。で、特に笑顔と真剣な顔で分かると思う。本当に楽しそうに笑っているかってのはすぐ分かる。人生を楽しんでいるなとか。真剣な顔も物事に対する姿勢とかが伝わってくる。多分これだけじゃない。でも、感覚的に笑顔と真剣な顔でその人ってのが分かる気がする。まあ、言い方次第では、絶対に他人の性格なんてわかりっこないので、分かる気がすると書いたんです。そう言い出すと自分の性格も分からないので。

答えがないことが答え。
絶対的に正しいことがないのが答え。
自分が何かって分からない、それが答え。
そういっている答えも、答えかどうか分からないんですけど。
結局堂々巡り。

結局すべてが分からない。本質なんてない。分からない。
そう。そうだと思う。

仏教で言う「空:クウ」の概念。
無常なんですよね。

そう思うと仏教の考えってすごい。

自分とは

なんか最近書いた気がするんだけど、自分の過去の些細な行動、今までやってきたことを振り返ると今まで気がつかなかった自分の部分に気づく。それをたどっていくと自分が何がすきなのか、興味の対象は何か、自分がどうなりたいかが、自然と見えてくると思う。

そう思います。他人からのアドバイスで気づくことがあるかもしれないけど、それよりもまず自分の今までの人生を振り返る。やってきたことや思ったこと、考えてきたことを書き出してみる、すると自然と見えてくるんじゃないかな。

そう思うと、こうやって思ったことをそのまま書いているブログ。これは僕にとってかけがえのないものだ。
何度も書いているがこれは、自分のために書いている。後から読み直すために。でも、僕が書いたことは読む人、特に身近な人の思考プロセスに大きな影響を与えかねない。そこも考えないといけないときがくるのかな。そうなったら、匿名でどっかでブログを書こう。