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October 21, 2004

いやはや

口で話してるってことは、それの10倍は考えているんだよな。すごい。

本当に、自分の薄っぺらさに気づかされます。何も知らないし、何も考えてない、生きる信念・理念もない、俺って対したことないな。今日は息が詰まるほど自分の薄っぺらさを感じさせられた。自分の能力が足りないと思うときはいくらでもあるんだけど、小手先の技が出来なくて感じるんじゃなくて、本質的に自分の思考レベルが足りない、と感じさせられた。

あらゆることを学び 自分に正直に徹底的に考え 専門分野をもち 自分の真となる考えをもち 何かあったら常に考え 先を読み 一つのことだけで考えを終わらせるのではなく、他のこととの関連性を含めて考え 自分の考えをノートにまとめる 専門とビジョンの確立 権威にゲイゴウしない理念 思考をストップさせない 教育実習

とりあえず、かみ合った話が出来るまで鍛えます。

5,6年

5,6年。

中学を卒業してからこれぐらい経ったのだ。
当たり前だけど、文字で見るとまた違った印象を得る。

5もう,6も経ったのかという気持ちと、まだ5,6年しかという気持ち。

中学までは精神的経験が多いと思う、そこまでの間に人間のコアが出来ると思う。高校大学は目に見える実際の物質的経験が多いような気がする。精神的なものから言えば、もう5年もたった。物質的な経験から言えば、まだ5年しか。なのだろうと思った。

幼少期の精神的経験をなくして、物質的経験だけしても、滑り台をすべるようなものだ。上滑りだけで、本質は何も捉えていないが、高いところから滑り落ちるスピードやスリルを盲目的に味わう。僕はそのようなことに意味を感じない。

福澤諭吉が文明論の概略で言っていたが精神を後回しにして、外国の文明を持ち込むのは順序が逆だ。精神のほうが浸透させるのに難しい。といったことと似ているだろう。

笑み

なんか、真っ暗な風呂でふと思う。
10年後の俺ってどうなってんだろう?どうなってるか全く分からないんだけど、なんか10年後の自分を想像すると笑みがこぼれる。それは輝かしい未来があるとか、有名になっているとか、何か成し遂げたとかじゃ全くなくて、タダ単にほんわかした笑みがこぼれる。

10年後の自分を決めるのも自分な訳で、自分がどうするかで大きくは方向性を決めれる。でも、10年後なんてどうするか決めてないし、わかんないと思っている。なのに笑みがこぼれるのはなぜだろう。

この10年の直感の積み重ねがどうなるかを楽しみにしているのか?

自分のことを他人のように見ている自分がいる。
この余裕というかゆとりは何だろう?

まさにホムンクルス的感覚だな。


なんか、興奮すると、いわゆる安っぽいこと、青臭いことを書いてしまう。そういうことを子どもだなとよく馬鹿にする人がいるんですけど。その気持ちを失ったら人生楽しめない。ワクワク出来ない。と思うんですけど。

分かっている奴

分かっている奴は分かっている。

これに尽きる。

よく会うとか、よく連絡を取る、こんなの関係ないなぁ。
細かいこと抜きにして分かる奴は分かる。

また、家に帰ったら書くかも。
とりあえず、木曜日という日をすごしてくる。

世親と無著にあってくる。

直感は体験から生まれる

東大で部活をしていた人を企業は好んで採用したと聞いたことがある。今でもその名残があるみたいだ。

僕は、これはおかしいといってきた。だって、能力関係なく東大+部活で採用するのはおかしい。能力を見て採用するべきだと思ってきたから。(まあ、能力なんて判断できないという問題もありますが。。。)確かに、部活で絶対的な服従とか規律、礼儀などを学んで、既存の上下関係がある大きな組織ではうまく働いたかもしれないとは思っていたが、その程度だった。

でも、違うかもと思いました。体を動かすことで、頭が良くなる。これはあると思う。頭が良くなるというか、体全身を動かすことでしか身につけることができない、直感などがあると思う。これは仕事の上でも役立つのではないかと思った。イギリスでパブリックスクール、いわゆるエリート校がスポーツを重視しているのも、体を動かすことによって脳が活性化されるからみたいだ。

もっと、自分で納得がいったのは、自分自身の考え方が実はこれと通じるところがあったからだ。僕はかねてから旅をすると瞬時の判断力が付くとか、人を感覚的に見抜く能力が付くとか言ってきた。日常とは違う状況で体全身を動かし、体全身で感じる。この行為によって入ってくる情報を脳は処理しているのだ。これらの体験を積み重ねることによって論理的には説明できない、感覚が身に付く。これによって脳が活性化される。この感覚や自然と活性化された脳は仕事でも役に立つのだろう。簡単に言えば運動部の人にとっての部活は僕にとっての旅だったみたいだ。