暇なときになると、落書きを始める。暇といっても何もやることがなくて、と言うのではなく、時間とか場所が拘束されていて、そこから離れられないけど、退屈なときのことだ。
まあ、高校で言えば、授業中だったり、ディベートの好評だったり、するわけです。なんとなくイメージがわくかな?まあ、そんなような時が最近ありまして、いつものように紙にボールペンで落書きを始めるわけです。
べつに、特に落書きが好きとか、絵が好きかと言われれば怪しい。その場で話を聞くことと、落書きすることどちらが価値が高いかと言えば、話を利くことのような気もするが、落書きをする。人間の意思決定というものは、それほど矛盾を抱えたものなのです。そもそも、価値が高いものを選択することが、当たり前だと言う考えがあるけれど、それの本質的な優位性は証明不能なわけで。どんな説明を繰り返しても、どんどん、それはなぜかを問い続けられるわけで。
まあ、それはいいとして、落書きをするわけです。特に何を書くと言う計画もなしに。てきとうに線を引く。すると、自分が書いたその線から、勝手に線を延ばしたり、円を書いたり、人を書いたり、付け加えられてなにやら分からないが、何かしらの絵が出来上がる。
不思議なもんですよ。一本の意味のない線からなんかが出来あがる。その出来上がったものは、一本の線が、まさにその線であったからこそ生まれたものなのです。はじめから、何かを書こうとして書く場合は、一番初めの線が全体に与える影響は比較的小さい。でも、計画性のない落書きは一本目の線が命なわけです。まさに、その線であったからこそということなんだよな。恐るべし、落書きの一筆。
利き手、利き足、利きからだ傾き
利き手があるのは皆さん知っているだろう。私は利き手を右から左手に変えようとした。中学のときは字も左手だかいていたが、今は書いていない。しかし、中学から左手で食事をするようになり、今でも左手だ。左手で食事をした年月のほうが長くなりそうだ。
利きからだ傾きがどうもありそうだ。傾けやすい体の向きがある。僕は昔から洗面所で水を飲む癖がある。なぜかと言えば、冷たいと感じるからうまいのだ。で、コップを使う習慣がないから、手ですくうか顔を横に向けて水を飲む。そのときに、体の向きを変えて飲んでみると飲みにくかった。いつも自然と傾けていたのが、利き体傾きだったんだろう。
なんでも、「利き○○」があるんだろうな。