電車に乗りながら、考える。
なにをって、好きなことしかやらない人ってなんだろうとか、そう言われるのは何でだろうとか、どういう人からそう言われるのだろうとか、なんでこの人は常につまらなさそうなんだろうとか。この人って堅苦しいよなとか、そう思われたり、そう感じるのはなぜか、とか考えてた。
もっと言えば、私に対して「本当にやりたいと思ったことなら、どんな理由があろうとやっている奴だからな。」といわれたことがきっかけだ。やりたいと思ったことに関しては、それをやることによる障壁を考えていないようなのだ。やりたくないことに障壁があったら、その障壁を理由にやめたりする。しかし、その同じ障壁がやりたいことに存在したなら、障壁とも感じていないようなのだ。
やりたいと思うことに対して、相手に説明するような論理的理由付けよりも、もっと深いところに何かしらあるような気がした。
で、ふと思った。人間には感性フィルターなるものがあって、それによって無意識に人間は判断し行動している。感性フィルターによって行動が定義付けられている。とか、思ったわけです。
で、この感性フィルターというものは楽しいフィルターとか、つまらないフィルター、嫌いフィルター、ワクワクする、理性フィルター、対人関係フィルター、安定志向フィルター、見栄はりフィルター、お金フィルター、時間制約フィルター、群れるの大好きフィルターとかあるのかなと思います。厳密に言えばレイヤーの違うフィルターを書いているので、僕の中では違うんだけど言葉でうまく説明できないのでこう書いておきます。まあ、どんな感性フィルターがあるか知らないし、数も種類も順番も人それぞれで、感度もそれぞれだと思います。
で、フィルターには順番があります。例えば、一番目に楽しいフィルターがあって、次にお金フィルターがあって、三番目に時間制約フィルターがあるとしましょう。この場合、何かをしたときや、話を聞いたときに、このフィルターの順にしたがって、人間は感じて生きます。
例えばこの場合だと、今度鳥人間コンテストに出るけど一緒に出ないといわれたとする。まず、人間の中で一番先に起動するというか、その言葉を聴いて一番先に反応するのが楽しいフィルター。とり人間に出ることが楽しいかどうかを感じるわけです。ここで、楽しいフィルターが反応して楽しいと思ったら、その後のお金フィルターと時間制約フィルターは感度が鈍くなる。楽しいフィルターが強く反応すればするほど、後から続くフィルターの感度は鈍くなると思うのです。
あるものやイベント、話が放つ絶対的なパワーは一定で(仮に100とする)、そのパワーがフィルターに分配される。楽しいフィルターが100だったら、後のフィルターは反応しないので、判断基準は楽しいということだけになる。逆に、楽しいフィルターは10だけで、お金フィルターが60、時間制約フィルターが20となれば、お金のことが気になって、気になってこれがボトルネックになり行動には移せないか、躊躇する気がする。
物事を判断するプライオリティの話でしょと言ってしまえば、当たり前のこと。(まあ本当に、言いたい事はそんなことじゃなくって、自分の意識下におけるプライオリティなんかよりも感性フィルターが無意識下において存在して、それが意思決定に大きな影響を与えている。しかし、無意識下のことなので自分では気がついていない。合理的に考えればこう結論を出して行動するんだけど、土壇場で180度違うような決断をすることもあると思います。理性フィルターによって論理的な答えを出していたが、楽しいフィルターの方が強くて、大逆転してしまったパターンなのかも)
少し切り口が違ったり、言葉の表現が違うだけ。しかし、何かしら新鮮さを感じずにはいられない。そこから、何かが生まれてくるような。
なんか、言いたいことがまとまってないな。まあ、また今度続きから考えるためのメモだな。
以下:携帯から送ったメモ
人間の脳というか感性感じるフィルターがあって人それぞれ起動する順番が違う 楽しいフィルター、理性フィルター、対人関係フィルターのように。楽しいフィルターが感知するとその後のフィルターは感度が鈍くなる。自分では我慢してやっているつもりのことが多く感じとも他人から見れば好きなかとしかやってなかったり、本当にやりたいことだったら飛び付いていると言われるのは楽しいフィルターが一番感度が高いから。人それぞれ持っているフィルターが違うかもしれないし順番もしかり。何番目のどのフィルターが一番に起動するかがその人の行動を無意識に規定する