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November 04, 2004

働くということ

某氏がいいといっていた本を読んだ。

新聞の連載を本にしたものだったので、知っていることもいくつか。
個人的には、一つの内容が短すぎて物足りなかった。いろいろな人の「働く」ということを読めたのは良かったのだけど、一人一人について内容が薄かった。最後のへんはなんかよい感じがしたが。

まあ、人間働くということについていろいろ悩んでるわけです。世のため私のため、猛烈スローライフ、汗とバーチャル、自立と歯車、安定とリスク、などなど比較してありました。社会・環境の変化による社内システムの違い、意識の違いによる若者と年配の確執なんてのも。

まあ、正解なんてないんですよ。自分がよいと思った道、納得した道を歩む。

これってのがなくて悩んでいても時間が過ぎるだけなんで、見つからなかったらそれなりの決断も必要なときもあるわけですよ。やってみて初めて見えてくることも多いですし。
そう思います。

働くということ
日本経済新聞社

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2004-09-18
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難しいことを忘れて

童心にかえる。
無我夢中になる。
腹のそこから笑う。

うまいものを食べて、
十分寝て、
自然を感じて、
好きなことをして、
空想にふけり、
美しいものを見れば、
生きてて良かったと思うはず。

たまにはこんなときもあったほうがいいと思う。

1994

1994年

この年が何だって話なんだけど、特に何もないんだけどなんか1994って響きから何か記憶がある。小3か小4年。

この年ぐらいから年号というか、そういうものを気にし始めた証拠なのだろうか。
それにオリンピックもあったから年号を良く聞いたからかな。

同い年の人は19??年から明確な年の記憶があるのかねぇ。

小学生の会話

スーパーに行ったら小さな兄弟が床に座り込んでお金を数えていた。
スーパーを一周して戻ってきたらちょうど数え終わったらしく、1221円と兄の方が言った。すると、小さな弟は210円の菓子パンを指差して、これ買える?と兄に聞いたのだ。すると、兄は買えるよ。と答えた。

普通の会話でした。終わり。

何ですけど、子どものころって数字というものをばらばらに覚えている。一つの数字はただそれだけのものとして理解しているのかな。だから210円と1221円の大小が分からない。僕たちはいくつかの数字を聞くと自然と否応ナシに大小を思い浮かべてしまう。数字という物を関係性の中で認識しきっている。

夢は何ですかといったら、「死の感覚を感じること」「赤ちゃんの感覚を感じること」これらって体験しようとも出来ないからねぇ。

あと、スーパーの帰り道小学生ぐらいの奴が信号に引っかかって「クソ、ムカつく」といった。待つことがいやなんだろう。急いでいるときだったら確かに待ちたくない。しかし、特に急いでいる様子でもない。じゃあ、なぜ待つことはムカつくのか?何か体を動かしていないとうずうずしてくるのだろうか?エネルギーに満ちた子どもだからなのだろうか?それとも、何かしら「待つ=無駄なこと」というような認識があるのだろうか?とどまるということは何もしないこと、何もしないことは時間の無駄とかそうなのかな?保守的な人は守りに入る、何も変わらないほうが楽で好きなはず。そういう人も待つことがすきなのだろうか?

僕は待つことが特に苦にならない。こうなったのは小学生のときにふと思ったことがきっかけ。何かを待つ誰かを待つ、そんなときは暇だ。だから文庫本などを持ち歩く人もいる。しかし、何も持たないで待たなければならないこともある。そんな時僕は思った。何もなくても、自分さえいれば暇つぶしが出来ることはないか。それなら、答えのない、答えが見つかっていない問題を考えればいいじゃん。と。それから、待つときは生きるとは何か、人間とは何か、幸せとは?などと考えるようになりました。それとか、周りを見渡せば今まで気がつかなかったことや、同じものでも視点を変えてみたり、じっくり見ると違う発見がある。そんなことしていた小学生は、10年たつとこうなるのです。


自らが感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。

自らが感じたことのない感情は、他人が感じていても自分は感じれない。

これ、わかっていそうで分かっていないこと。
とある人の話をきいて思いました。

黄色い線の内側?

ズーット前から気になっていた。
これは何度聞いても違和感がなくならないこと。
何百回と聞いているはずなのに、違和感が残るフレーズ。

「黄色い線の内側にお下がりください」

どこかで聴いた記憶はありませんか?駅のプラットフォームです。
電車がプラットホームに入ってくるときに、電車に近づきすぎるとき読んだから、駅員さんがアナウンスするのです。まあ、それはいいんです。

言いたいのは「内側」?ってところです。

僕にとっての黄色い線の内側は「線路」の方なのです。電車に近づけって事かよ!って、いつも突っ込みたくなる。しかし、駅員さんの言う黄色い線の内側はプラットホームの真ん中の方なのです。

なんで、僕が黄色い線の内側を線路だと思ってしまうか?
多分電車を中心に考えているからです。一方駅員さんは客を中心に考えているのです。
その違いによって解釈の仕方が異なるのだと思う。

僕が自分自身を中心に考えないで電車を中心に考えるか。それは紛れもなく電車の駅という場所にいるからだ。普段は自分を中心に考えているが、駅では電車がメインだ。みんな電車に乗りにくる目的できているのだし。だから、電車を中心に考える。

しかし、駅員さんは毎日駅で働いている。それが日常だ。だから、駅というのは電車に乗るという目的でもなく電車がメインであるという発想にならないのではないか。だから自分中心で考えるから、黄色い線の内側がプラットホームの真ん中のことをさしているのだろう。

そんな理由じゃないのかな?
普通の人は、僕みたいな認識の仕方はしていないのだろうか?

普通の人は瞬時に脳で補正がきくから、普通の認識が出来るのかもなぁ。おれは、そのものをそのまま捕らえすぎているのか?


脳科学

小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「脳科学・脳はどう意識を生むのか?」


21世紀で一番重要かも。心は科学の対象となりうるのか?

茂木健一郎さんは面白い視点

ソニーCSL、品川にある、ガラス張りのビル

立体はなぜ立体と感じ、透明なものはなぜ透明と感じるのか?

脳の話、脳科学

科学はどのようにして生まれたか?
ニュートン 万有引力の発見。なぜコレが意味を持つのか?

手にあるものは落ちるが、空にあるものは落ちないのが当たり前だと思っていたが、その常識の不思議に気がついた。

脳、1000億の神経細胞。複雑なネットワーク。化学物質の放出と吸収。
りんごと脳もニュートンのりんごと月と同じなのでは?

脳は意識を作り出す。朝起きると、太陽の光が入ってくる。意識が生まれる。作り出される。胃は消化するためにある、意識を生み出すことを考えないで脳を研究しても意味がないのではないか。脳がなぜ意識を生み出すか?意識の主体である私はどのように成り立っているのか?は分かっていない。

錬金術師がしらないように、脳も物質なのに意識が生まれるのか?コンピューターやロボット、石にも意識があるのか?

研究の手がかり、「クオリア」生活する中での質感。水を飲むと冷たく感じ、バラの赤を赤と感じる。

今までの科学で、方程式は数で表さなければならない。しかし、クオリアは科学でかけない。チョコの甘さとバナナの甘さは数値で表せない。クオリアは数で表せない。

すごく小さな情報から、なぜ人間は情報を補って理解することが出来るか?外界から入ってくる情報を、解釈を持って理解する。想像力が豊だと、

感覚的クオリア=感覚的な情報
志向的クオリア=解釈で補う、何かを認識する

外にワイングラスとかバラがあると思っているが、実は脳の中にある。(情報を得る段階で見てはいるが。)

外界からの刺激がなくても脳はクオリアを作り出すときがある。それはなぜか?

脳は3つの器官

脳幹 生命維持
小脳 運動支配
大脳 視覚、意識、
大脳皮質 神経細胞の集まり 

限られた体積で表面積を大きくする

後頭葉 視覚やで情報処理
側頭葉 形色を解析
頭頂葉 体のイメージをつかさどる、ボディイメージ、自分の姿勢など
聴覚野 聴く
運動野 手や足をコントロール
前頭葉 脳のさまざまな部位を調整
前頭前野 私が私である中枢

過去100年は脳のどこがどう役割をしているかを究明 機能主義

コンピューターは脳になれるか?
どこが同じで、どこが違うか?

人間の脳の能力の背後には「私」が常にある。

ロボットに私を組みこめれるのかが重要な問題。

クオリアを感じるのは私である。バラの香りを感じるのは私である。コンピューターにデジタルとして情報が入ったら、感じられないのではないか。なぜなら「私」がないから。

私と他人

他人との関係が重要。他人との関係で脳が作られてきている。生まれたときから他人とコミュニケーションをしたいという脳の欲望がある。

ないたらミルクをくれる。赤ん坊は母親のことを自分の延長だと思っている。しかし、泣いてもミルクをくれないと、母親は自分でないときが付き始める。

自分が自分であると気がつく年齢=自分の心と他人の心の発見=4歳ぐらい

感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。
相手の心を読み取ること=心の理論

相手の心を読む
顔の表情は非常に重要。怒り、喜びなどは分かる。顔は表情から一瞬で感情が伝わるインターフェイス。ポーカーフェイスの時は、今までの関係や、その状況を踏まえて感情を読み取る。

1996年、ミラーニューロン神経細胞10年後には教科書に載るかも
自分がある行動をしているときにも、他の人がある行動をしているときにも働く細胞。Aさんがアイスを食べれば、それを見たBさんもアイスを食べたときに働く細胞が働く。

人間と人間の関係
脳への報酬。人間の脳は何を一番うれしいと思うかといえば、他人からほめられること。小さいころは見てもらっていることが報酬。学芸会で親(大切な人)が来て見ているかどうかが気になる。親が見ていないと、何もしない。

アイコンタクトが成立したときに、ドーパミンを放出する細胞が活動する。好意を持った人と目が会うときほどドーパミンが出る。意識していなくてもこのように神経細胞が活動する。

人間は相手との関係によって人格を使い分ける。
学校で友達と話すときと、親と話すときは違う。人間の脳のもっている最大の能力はTPOにより人格を使い分ける。人間の脳の持っている頭の良さはコミュニケーション能力。場に合わせたコミュニケーションが出来る。これはコンピューターには出来ないことである。
コミュニケーションから自我が生まれる。


チェス コンピュータ対人間
ディープブルーは先の手を読んで、勝った。しかし、これは人間の知性を超えたといえるか?
人間らしいコミュニケーションはできていない

チューリングテスト
人間がコンピュータの画面に向かってテキストをコミュニケーションをして、スクリーンの前には人間がいるのか、コンピュータがいるのか区別できないとき、人間とコンピュータは差がないといってもいいのではないか。しかし、まだテストに合格したコンピュータはない。

コンピュータはあらかじめ決まったことをするのが得意。人間は相手との会話によって臨機応変に行われている。チェスはルールが決まっているものをやっている。

他人の心を読み取る。他人の心が何を考えているか分からないのに

コンピュータは与えられて物しか出来ない。人間は感情を持ち、自らの欠点を見つけたり

一つの能力だけを暴走させず、抑制し、人間の能力をバランスとっている。カレンダー計算をやろうと思えば出来るが、バランスをとっている。

Qコンピューターが人間の脳に追いついたらどうなるか?
A人間はうまく、それを乗り越えていくのではないか?ITの影響で発想の能力が重要になってきた。人間の脳は環境が変われば適応できる。コンピュータが脳に追いついたら、そのコンピュータが出来ないことをやるようになる。


意識と向き合う科学

今までの科学は、数式を組み立てたりしてきた。
今まで科学が無視してきたクオリアを考えなくて人間型ロボットや今後の科学は語れない。

我思うゆえに、我あり デカルト

空間を数式で表すことを(近代科学の基礎)デカルトが言った。

この世の中で唯一つ疑えないことは私がいること。 デカルト

「私」のなぞに挑む。
今まで、これは解けないという問題も解いてきた。しかし、私が私であるということも分かるのではないか。コレが解けたとしても、新しい問題が生まれてくるのだから。

人間が考える背景には何があるか、意識が生まれるとは何か、これらを考えるためにはデカルトの考えに戻る必要があるのかもしれない。

現代の科学に残された最大の問題。

意識、私、クオリアはどのように生み出されるか。これを解決したら、ニュートンやアインシュタインと同じぐらいの価値がある。

科学に興味を持つすべての人が、科学にはミステリーがあるということを実感してほしい。
当たり前だと思っている減少を見直す・違った見方をすると、新たな発見があるかも。

小柴さん
量子力学観点からすると、私は表現できないと思っていたが、実はあらわせるかもしれないと考え直さなければならないかもしれない。今後脳科学がどう発展するか楽しみ。