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November 15, 2004

バカの壁

ザ・ヒューマンD 「TV版“バカの壁”養老孟司」売上374万部大ヒット▽解剖学教授の不思議な頭の中と常識・非常識

テレビ東京 11月15日 22時〜

養老さんに密着した番組、後半の方が面白かった。

昔、バカの壁を読んだ。そのときは当たり前のことしか書いてないじゃんと正直思った。ご本人も当たり前のことを書いたおっしゃっていた。著者の言いたいことが少しは分かっていたけど、読んだときはまだまだ未熟だったんだ。そうなんだろう、当たり前のことを当たり前と思える、そう。そこだ。

「日本の伝統的な思想」と自らおっしゃっていたが、そんな感じがした。仏教的な考え方なきがした。「無常」とか「空」とかそんな思想が伝わってきた。

以下メモ

講演の原稿を作ったら、話が死ぬ。
内容は考えるけど。

大阪のハローワーク「自分に合った仕事が見つかるかもしれない。」とあった。
こう書いてあるということは、まず自分があるはず。しかし、「自分」なんてそんなちょろい物でもない。

仕事は世の中に必要だからある。自分にあってるあってないは関係ない。あってないといってやらなかったら生きていけない。社会に必要だから仕事である。本気でやれ。

教育が大事。人間の本質的には教育がかかわる。
今は教育が人を変えることをまさかと思う。おかしい。
オーバーな例として教師が麻原だ。大人だってあそこまで変えられる。人を善導するのが宗教。

本とか読んでて違うだろう、と思う。それで、人に伝えようという意識になる。根本的に納得できないことがあると考えないといられない性格。あたっているかあたっていないかではなく、自分に納まるかどうか。

バカの壁、口述筆記
ニーズがあった。自分で書くと文体が古い。
メール的文体で書かれている。
日本の伝統的な思想。(今の人と正反対)
現代人は自分を川だと思っていない。今の人は自分を固定した川だと思っている。固定した自分があると思っている、思い込んでいる。アメリカから流れてきた。錯覚である。
固定した川は死体である。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中にある人と住みかと、またかくのごとし」

バカの壁は常識の本

意識中心主義、自分が分かっていることだけ中心で世界を理解しようとする。しかし、それでは視野が狭すぎる。知らないことの方が多いんだから。
養老さんがタバコを吸っていて、スタッフが体に悪いからやめないのですかと質問。
大気汚染の原因なんて山ほど、しかし分かっていないことのほうがたくさん。
タバコをすっていても、すっていなくても解剖した人の肺はすべて真っ黒だった。空気が汚いからだろう。

どうせ仕事をするなら、準備から最後のごみすてまで自分でやる。そうしないと仕事を飲み込めない。それをやめて分業するのが文明の進歩かもしれないが、胡散臭い。少なくともある時期は全部やらないといけない。

別に天地あり 人間(じんかん)に非ず

専門を解剖学にしたのは興味ではない、心理である。国民学校2年生。その世代は安心できることが少ない。そうすると解剖は安心である。

どんなに下手に解剖しても、どんなにうまく解剖してもお前がやったことあろう。
彫刻や絵もお前が彫ったんだろうで終わる。絵描きや彫刻家は作品が残る。解剖はばらばらになって売るものがない。そこが辛いところである。形あるものが消える。

山奥で1000日走って修行しても一切GDPに影響を与えない。だが、重要なことがある=自分が変わる。

年をとると責任を感じる。若い人が分からないことがある。伝えておかないと。と思う。

何とかしなければ。ダメといっても始まらない。 中庸にもとづいて。

すきなことしかやりたくない。でもその好きな仕事をやるためにやらないといけないことがある。

個性を心だと思っているが違う、脳だ。脳は体の一部なんです。

ボーっとしていることが出来ない。なんかしていないと。

科学者は客観没入、誰が見てもそうだということに陥る。

ともかく、私は還暦を過ぎるまで生きていました。そういう答えがあるのかということを分かっていただければ幸いです。また皆さんの答えが違うことを祈ります。

マジですか?

今日、二郎へ行った。
またかってのはどうでもいいんですけど、そこでびっくりすることが。

知らない人のために前提説明。
ラーメン二郎ってだいたい長い列が出来ているんです。それも常に2,30人。そんで、回転率も悪い。作るのにも、食べるのにも時間がかかるから。まあ、とにかく待ち時間長いんですよ。それだから、少しでも前に並びたいわけです。

昼の時間なんてぞろぞろ二郎めがけて人が歩いてくるんです。それで僕は、二郎に近づくと二郎に並びそうな人たちがいないかチェックする。二郎に並びそうな人がいたら小走りで彼らより前に並ぶのです。学生の男ずれか、サラリーマン、工事現場の人がだいたいの客層です。今日は、周りを見回しても歩いている人は40代半ばの夫婦とその娘ぐらいで並びそうな人がいなかった。それで、歩いて並ぼうとしたのです。すると、驚き。僕の前に40代半ばの夫婦とその娘が並んだのです!こぎれいな夫婦ですよ。明らかに来る店間違ってますよ。って教えてあげたかった。

しかし、ちょっと待てよ。並ぶんだし、こんなとこにある二郎だから、あえて来たのだろう。それもジャージとかじゃなくってちょっとおしゃれな格好をした家族なんです。想像ですが、多分父親が慶應を卒業した人だろう。そして、二郎を思い出して食べたくなって、そんでもって自分の昔の思い出の味を家族にも味わって共有したかったんだろうな。と。
並んでいるとき父親が娘に食べたら器をカウンターに置くことや、面を少なめ油抜きって言うんだとか教えていた。その父親の顔は得意げだった。うれしそうだった。ただ、母親と娘の顔は疑いの目だった。さらに、店内に入ってからは、こんな汚い店!器が汚い!量が多すぎる!犬のえさ!ってな感じで母と娘はしかめっ面だった。

男って自分勝手なのかなとか、思ってました。純粋だなとも思いました。幸せな家族なんだろうなとも思いました。僕はその父親の気持ちが少し分かった気がした。