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May 01, 2006

他者とのコミュニケーションにおける暴走問題と社会性

他者とのコミュニケーションにおける暴走問題と社会性

僕はたまにスイッチが入ることがある。それを知っている人は分かりやすいと思う。話していて、究極に面白くてワクワクしたり、共感したり、何かをやったり、みたりしてコレダっと思ったときにスイッチが入る。そうなれば完全に自分の世界と言う奴に入る。周りがいても、猛烈な勢いで話し出して、立ち上がって、とまらなくなる。楽しくてワクワクして、仕方ないのだ。あの状態を思い出しただけでも、心が躍り始める。

ぼくのことを一番わかってもらえるのはそのときだと思う。自分で言うのもへんだが、いきいきしていると思う。本当に。

コレは自分の中では完璧な楽しさ、というかワクワク感。さらに、とてつもないパワーが生まれると思う。しかし、他者にとっては面白いと思ってくれる人もいるらしいが、一方的なコミュニケーションになり、一般的には問題も多い。と思う。自分勝手というか社会性がないというか。だから、最近はあまり暴走しすぎないように気をつけている。まあ、世の中一人で生きているわけではないので、ある程度はいたしかたない。

でも、やっぱ問題は、このスイッチの入ったとき一番ワクワクしていて、パワーも発揮して、頭もぐるぐる回転して、何かを感じ取る力もマックスになるということだ。

他者とのコミュニケーションをうまくしつつ、このスイッチの入った状態になるというのは非常に難しい。そもそも、他者のことを気遣っていたら、完全に自分のペースにならない。自分の脳があるワクワクすること以外に場の状況を読むということに使われるし、相手が話すと自分のペースで話せなくなる。だから、脳のなかでブレーキを踏むことになる。

まあ、プロと言うのは他者とうまくコミュニケーションをとりつつ、このスイッチの入った状態を維持しているんだろうけど。そういったのを目指すのがいいのかな。それとも、自分のマックス状態をそのまま出し続けるのがいいのか。考えても答えは出ないので、なるようになるだろう。

やっぱり、自分の軸、絶対的に大切なものがあると答えは出しやすいのだろう。それは見つかるのか。そもそも、存在するのか?死ぬまで求め続ける、絶対的な何かがあるとも思えない。常に変わる。無常ということが基本的なおれの考えだし。

追加:一人でいても、スイッチが入ることがあるが、これは他者に迷惑をかけないので全く問題ないと思われる。

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