February 2006 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28

October 27, 2004

二郎

ラーメン二郎というお店が大学の横にある。支店もいくつかあるのだが、大学の近くにあるのは本店。川崎とか武蔵小杉などにも行ったことはあるがやはり本店がうまいです。

うまいという表現を使うと、お前はおかしいといわれそうですが、まあ気にしません。特にスープがうまいです。そんなラーメン二郎とはこんなものです。←をクリックするとグーグルのイメージ検索の結果が出ます。

この二郎が気合はいってます。>←をクリックするべし。あの盛り付けはある種の芸術です。器からこぼれない限界。なんて美しい。笑

で、このラーメンは一回食べると病み付きになります。何でかは分からないんですけど。じゃあ、きれいでうまいかと言うと、単純にそうでもない。ただ安いことは確かです。でも、安さだけで、あれだけ並びません。昼間なら2,30人並んでいます。やっぱ病み付きになる味という表現が一番的確です。もちろん病み付きにならず、一生に一回の経験でいいという人もいます。

で、何で二郎にひきつけられるかといったら、あの安さ、ボリューム、ネタっぽさ、わが道を貫く精神でしょうな。500円で普通の人なら食べきれない量があります。豚肉も分厚くてうまい、野菜の量や親父さんのキャラはネタっぽいです。店の汚さや壁に貼っていある二郎の家訓っぽいものもネタです。で、ここまでに書いてきたことは、わが道を行く精神に尽きます。きれいでおしゃれなラーメン屋が雑誌で紹介されテレビで紹介されもてはやされる、若いカッコイイ店長がいる、スープはなんか知らんが流行の味で、トッピングと称していろいろのっける。蓮華とか言う必要のないものが付いてくる。そんな安っぽさはない、迎合しない感じ。それが二郎にはあるのです。そこに、惹かれるのだろう。

二郎のことをほめすぎましたかね。でも、相当賛否両論あると思いますが一回は行くべきです。もし行きたい人がいたら、一緒に行きましょう。平日の12時ぐらいまでに連絡をもらえればいけると思います。それかPCにメールでもください。

まあ、このブログからのみ知る私と、実際に会ったときに持つ印象はかなり違うと思いますよ。

ゴッゴル

ゴッゴル の検索結果 約 114,000 件中 1 - 100 件目 (0.20 秒)

正直、驚きです。2004 年 10 月 17 日 から始まっただけなのに、たった十日で114,000 件のヒット。

ゴッゴルという何の意味もない単語をgoogle.co.jpで検索してトップに来るのを競っているのです。それでそのランキングコンテストが17日に始まって10日でgoogle.co.jpで114,000 件のヒット。ネットってパワーありますね。一人一人がやったことをみんなが見れる。こんなメディアは他にないからなぁ。

ゴッゴルゴッゴル・・・って下痢になって腹がなっているみたいな音だ。

ゴッゴルとgoogle.co.jpで検索。



第 1 回 SEO コンテスト

友情が生まれるプロセス。

友達の条件

・ひとつのプロジェクトをみんなで魂を注ぎ込んで達成したとき
・人生や社会問題ついて正直に朝まで語り合う
・恥ずかしい、あほなことを共に出来る
・自分の本心を相手に伝える(感性があっている)
・お互い無言でいても違和感のない人(ネタを考えて話そうとしなくていい雰囲気を作り出しあえる人)

僕は、自らメールを送ったりメッセで話しかけたり電話をしたり直接会うということは少ない。別に特に理由はないのだがあまりそういうことはない。それでも、連絡をくれる人はいる。ありがたい。薄っぺらい友達関係はあまり興味がない(そういうこというと友達なくします。笑

でも、何人かは自分と同人種とかんじたり、この人は人生や世の中分かってるな、この人俺のこと分かっている、なんとなくあうという人がいる。それは、連絡する頻度だったり、会う回数じゃないと思う。2,3度しかあっていない人でもそう思う人も何人かいる。

最近やっと分かる気持ち

最近、やっと分かる気持ちがある。それは昔大人が言っていたことで全く分からなかった感覚。年や経験をつまなければ分からない感覚とはあるものなのだなぁ。

たとえば、親が叱るのは子どもがかわいいからというやつです。昔は分からなかったなぁ。今となってはすごく分かる。本当に大切な友達だったら、真剣におかしいことがあったら怒ってでもいってあげる。まあ、コレは一例で、僕の言いたい本質ではないんですけど。

絶対違っていると思っていた、自分は未熟だったのだ。

時が経たないと分からない感覚。もっともっとあるのだろう。また、時が経ち先人が教えてくれた感覚を味わえるのが楽しみだ。


あと、いつも言っているんですけど、僕は具体例は仕方ないから使っているのです。僕の言いたいことはだいたいもっと曖昧なことです。僕の思っている何かは抽象的な思い・考え・感じることです。でも、それを体で表現したり、絵で表現したり、詩や歌で表現する手段を持っていない。持っているかもしれないが、自分では自分が行うそれらで伝わるとは思えていない。だから僕は、具体例や言葉で表す。僕が今もっている手段ではそれが一番伝わりやすいと思っているからだ。

そもそも、相手の言っていることを理解することなんて本当は出来ないのだろう。僕がうまれて育ってきた環境、体験したこと、出会った人、親友は僕にためだけにあったものであり、他の人は絶対感じれなかったものだ。まあ、生まれた時点で個体として別なんで、その時点でも絶対体験できないんですけど。それで、僕という人間が唯一の存在で、この経験をしたから感じることがある。他の人には全く分からない感覚。ある部分は共有できても完全には出来ない。とある二人が同じ文章を偶然、奇跡的に書いたとしても、心の中で言いたかったことは全く違うはずである。言葉の意味だって人それぞれ捕らえ方が違う。「腹が減った」という言葉でも、人それぞれどの具合から減ったと表現するかは違うし、その状況によっても違う。たくさん食べて腹が満たされることを腹が減ったという人はほとんどいないと思うが、同じ単語でもそれぐらいの差がある場合もあると思う。認識の違う単語なら、辞書とかで意味を共有すれば言いといっても、辞書に書かれた説明に使われている単語にたいする感覚も違う。当たり前なんですけど、ブログのエントリーを見て思いました。それでも、通じる人がいるのも事実で、それは僕にとってうれしいことだ。本当に通じているかどうかは確証はもてないが、そう感じることがある。

聴衆からの拍手。これを歌う源泉としている人がいた。楽器をやる人や歌う人には多いみたいだ。絵などの芸術と違い、人の前でやることであるから、拍手が源泉となっているのだろう。ドラマは出ないけど、舞台はやるという人はこの拍手がモチベーションの大元となっているのだろう。で、僕は、聞いた。拍手をもらう経験を何度もしたら、自分を突き動かすものとしての力が小さくなるのではないか?と。しかし、コレは違うらしい。全く、小さくならないようだ。そんなちゃっちい物ではないみたいだ。正直、ショックを受けた。人間同じことを繰り返せば、あまり衝撃を受けなくなったり、当たり前のものになれば何かを感じにくくなるものだという認識が僕の今までの人生ではあった。しかし、そんなものではないみたいだ。僕が言っている、信念とか、あるものに対する思いというのはそのような境地に達してこそ感じられるものなのかもしれない。僕も、いろいろなことを経験したり、感じたり、考えたりするうちに、そのようなものを見つけたいと思っている。

国谷さん講演-インタビューの心得-

この前、大学で国谷さんの講演があった。クローズアップ現代のキャスターさんだ。

テレビで見ていてもいかにも頭のいいキャラ。オーラが出ている感じの人。仕事が出来そうで、キャリアウーマンを目指す女の人の憧れっぽいキャラ。僕にはそううっていました。その人が大学に来たのです。時間もあったので、行って見ました。すると、会場は人であふれかえっていた。正直驚きました。失礼な話なんですけど、そこまで有名じゃないと思っていたので最近の若い学生は見向きもしないかと思っていました。僕の若者を見る目もたいしたことはないなぁ。

目盛ったことを列挙します。
何度も言っていますけどブログは僕のためだけのメモです。別に誰かに読んでほしいから書いているわけではありません。だから誤字脱字が多いし、日本語も下手で、改行もありません。しかし、僕にだけは僕が書いた文章からそれの持つ質感が伝わってくるのです。何でブログかって言うと、デジタルで残すと便利でPCにデータとして残す、じゃあついでなんでブログにアップしようと。ブログは外部からでも検索できるし便利なのです。そんな感じです。別に人気ブログにしようとか全く思ってません。だから、本名も身分も何も書いてないのです。そんなことはどうでもいいので、メモ開始。

PCを感性を伝えるツールにしたい
世界に自分のアイディアを広めたいと思いで起業 ジョブズ
鳥肌の出る感動 高倉健
自分の限界は自分が作っている フィオリーナ
自分に親切にする=自分にチャンスを与える アキヨシ・ピアニスト

フィオリーナ(HP社長)の強み コミュニケーション力=多くの聴衆の前で話していても一人一人に語りかけているように話が出来る。パッションを持ったコミュニケーション力

インタビューに準備をしなかったら相手にばれて、深い話が出来ない。インタビューは真剣勝負であり、準備が必須。そして相手と同じ土俵に立つ。しかし、準備通りにインタビューするのは不可能である。質問などはあらかじめ考えたり、インタビューの流れを想定するが、その場の実際の話の流れを最も重要視すべき。その人の本質をその場でつかみ話す。

下調べはするが、インタビューではいったんそれを忘れてインタビューする。

ゴーン(日産社長)の話
曖昧な言葉で質問すると、曖昧な言葉でしか答えが返ってこない。性格で具体的な質問をすると、性格で具体的な答えが返ってくる。その答えには責任が付いてくる。(ゴーンは言葉の壁があるから、少ない質問で本質をつかむ必要がある。)会議の前に言葉の定義を行う。

会議の進行役のプロを育てる。フェアな議事進行。

ジャーナリズムとは常に批判的な質問をすること=どんな人、たとえ老人であろうと確認作業をするのだ。

キャリア 自分で自分の道を見つける。
昔の日本人は会社で育ててくれた、だから今の大人は自分の人生なんて考えていない。今の若者もそう教育されていないから考えられるはずがない。社会情勢がキャリアについて考える必要性を唱えているだけ。大卒で分かるはずがない。8年かかってキャスターという仕事に出会えた。

自分を鍛えてくれる。育ててくれる、考えるチャンス、チャレンジできる職場がファーストキャリアにはよい。自分が本当にやりたいことでなくてもとりあえずやってみる。

インタビューの準備で気を使うことは?
幅広く読んだり聞いたりする。直近の出来事は必ずチェック、絶対抑えるポイントを考える。それ以外は生きてきた全体像を考える。人生で一番楽しそうなときを想像する。インタビューする人に関心を持つ。その関心をいろいろな角度から質問。

関心がわかないときは、その人について調べることによってモチベーションをあげる。情熱をもてなければ普段の何倍も時間をかける。

インビューの前は話がちぐはぐになったらと恐怖感・緊張感がある。毎日それをクリアしている。

多角的な視点で伝える。


頭のいい奴=偏見のある奴

頭のいい奴は偏見がある。コレはフィーリングで言っているのではなく、それなりの理由がある。別に完全に悪い意味で言っているわけではないが、頭がいいといわれてそれだけで満足して、見落としがちな面を言いたいだけである。

ここで言う頭がいいとは、会話をしていていろいろな知識を持っていたり、的確な返答をする才能がある人のことです。

で、こういう頭のいい人はなんで的確な返答が出来るか?それは幅広く深い知識と、さまざまな経験、常に頭を働かせ考えている、自分の考えをまとめていたり、話したりしているからだと思います。さらに、相手の次の発言を相手の知識・思考を踏まえた上で予想しているから。コレ自体はどれも悪いことではないし、むしろすばらしいことだと思うのです。こうしているから話がスムースに進むのだし。だから頭がいいとほめられるのだし。

しかし、これらは偏見に満ちている。というのも、知識がある、コレじたい偏見であふれかえっている。何かを知るということは、自分なりに解釈するわけです。その解釈にはバイアスが入る。で、頭がよいとされる人たちの頭の中は整理されていると思うのです。話しているときに、話題に対してすぐに脳から知識を引き出してこれる、そのためには分類訳して脳の中に記憶している。そう思うわけです。意識的にやっていなくても、そうなっている可能性があると思う。で、分類して記憶しているってのは偏見が生まれるのです。すべてのことはそんなにうまく分類訳できません。ここで無理やり分類しているので間違った記憶というか、偏見、バイアス、そんな感じのものが生まれると思うのです。

さらに、相手の言うことの先読みをする、すると返事が的確になったり、すばやく返事できるわけです。しかし、それは相手をこんな人間だと決めてかかっているからそのような先読みが可能なわけです。ここでも偏見が生まれるわけです。とまあ、頭のいい人といわれる人の会話における思考には偏見が生まれやすいとそう思ったので、気をつけましょうと。

ようは、頭がいいといわれる人は物事を一面的に捉えたり、無理やり枠にはめて捉えたり、むりやり分類して記憶していることがある。それは偏見につながることがあるから、常に意識しているといいかなぁと思っただけです。

僕がいつもエントリーしていることは、他人に言いたいから書いているのではなく、自分で書いて自分を戒めているのです。それか、自分の記憶とそのときの感覚を取り戻すメモです。別に僕はこのエントリーで書いた頭のいい奴ではないけど。