何かひとつのことを考えると連鎖的にどんどん考えが浮かんだりすることがある。書きとめておこうとメモをいくつも残す。そして、いま頭の中で創造したことや考えの中心となることはだいたい書いたな、と思いメモを終わる。そして何日かたってから、メモを見る。何か物足りない。あれ、これだけだったっけ??もっといろいろ考えてメモした気がするなーと感じる。
僕の過去の記憶というものは僕という人間自体を過大評価しているから、メモはもっと書いた=もっといろいろなことを想像した、考えたと思うのかもしれない。確かにその面もあるだろう。しかしそれだけではないと思う。脳というものは、字にならない、脳の中で論理的プロセスを経ない、なにやら感覚的なものが大きな役割を果たしていると思う。それが自分の脳の中に記憶として残っており、字ではそれはあらわせないから、何か物足りない感じを得るのだと思う。
そう考えると、脳って不思議だな。自分の脳自体で考えていることをその自分ですら分かっていない。同じ脳のはずなのに分からない。同じ脳だから分からないのかもしれない。
いや、人間は脳の中にあるものをすべて明確な形で認識できると思ってしまっていること自体が間違いなのかもしれない。僕の頭の中にそう前提条件があるのがいけないのかも。だって、言葉としてはあらわせない、脳から発生した感じ、そのなにかしらも、言ってみればアウトプットな訳だ。元をたどればその感覚、質感もなかった、それらが生まれて僕の脳は感じた。ということは言葉にはならなくてもその質感自体がアウトプットなわけだ。思えば、アウトプットの表現方法が言葉に限られている必要もない。というか、アウトプットの方法が言葉という一つだけの方がありえない。その質感は言葉で表そうということ自体が意味がない。そうなのかもしれない。
形式的なことは言葉で伝えられても、それ以上の意味において言葉はあまり意味が伝えられていないのだろう。まあ、他者がいてこそ、言葉には意味があるのだが。
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