パソコンで音楽を聴いていた。するとアッと思った。あの澄み切った歌声から小田和正だというのは分かった。タイトルを見ると「風のようにうたが流れていた」とあった。まさに、この歌だったのだ。
「あの夏の空 きらめく海も」
「出会いも 別れも 知らぬままに」
今回の旅で広い自然と向き合う時、この歌の上の2つのフレーズが脳の中で流れ続けた。本当にこの短い部分だけが脳の中で何百回と流れた。小田和正の歌とは知っていたが、タイトルもしらず、この部分しか知らなかった。でも、今回の旅では脳の中でこの歌ばかり流れた。たぶん、今回の旅に一番マッチしている曲が脳の音楽アーカイブから引っ張り出されたのだろう。この歌詞と曲調、そして澄み切った歌声が、まさに旅にベストな音楽だったのだ。今回のたびの象徴のような、旅を表したベストな歌。
そういえば、2年前にスペインに行った時は、世界遺産の「the song of life」が脳の中で流れ続けていた。
写真モブログ一覧から、自分の興味が分かる気がする。
どんなものを見たときに、ワクワクしているのか。写真をそれも携帯モブログというもので、どんな時にも撮影し更新が可能というツールだから、本当に面白い。
それ、一枚一枚では見えてこないものが、一覧表示するだけで新たな価値と言うか意味を作り出す。一覧になっただけで、比較し僕が何に興味があって、モブログするかが分かる。
生きるリズムってのがあると思う。生活スタイルとでもいおうか、生活のリズムとでも言おうか。
そういったものは、気づかないうちに少しずつ作り上げられ、気づかないうちに少しずつ変化する。変化した状況から現状復帰する、その状況で気がつくことがある。
当たり前のように、動作をすると何か不便とかおかしなことを感じる。それは、その動作をするまで全く気づかない。それも当たり前だが、おかしなことだ。
たとえば、モブログの写真を更新するという行為。これは南米生活で忘れ去った行為だった。
こんなことしていたのか。ああ、こうだったよな。なんでこうしたんだろうと。
世界を自分、他人、その他の影響というのがあって、自分がほとんどだった。そんな性格検査の結果が3年ぐらい前にあった。
その時は、実感していなかったが、自らの脳の中での意識として、それの言わんとすることが分かって気がする。
自分がすべてではないが、あまり他人に興味がない。所詮、他人は他人と思っているからだろう。
でも、他人は他人じゃないんだよな。相当支えられてるもんなー。
最終的な最後の意思決定は自分かもしれないけど。
旅好きにしか分からないのだろうか。
旅に限らず、何かを好きな人が群れるのはその気持ちを感情の高ぶりを共有できる幸せがあるからだ。
未知の国へ友達が旅立つ。そんな話を聞いたり文章を読んだり、タダそれだけで自分が旅立つようなワクワク感が沸きあがってくる。旅行記を見ているだけでも楽しいんだよな。
4トラベルというサイトの個人ページへのアクセス数のメールが来るが想像以上に多い。3日ぐらいで900弱。すごいみんな読んでいるんだな。と驚く。
そういえば、友達が秘境に関する本を作っていて、その本に南米で取ってきたチチカカ湖の写真が本に使われるみたい。うれしいことです。